2005.01.17

直木賞「対岸の彼女」角田光代!亡き母偲んで涙

「受賞したときに一番最初に電話したかったのが母で…
 受賞を聞いて…『あっ、いないんだ』って…」とは…
昨年11月29日に「母」を亡くした「角田光代」氏の弁!
止まらない「涙」は!きっと「天国」にも届いたはず!
【母に電話も「あっ、いないんだ」直木賞の角田光代さん】(gooニュース)

愚図愚図と酔いしれて…【011】

 この見よう見真似のインキの調合を「お医者さんごっこ」に、勲は採用したのだ。家の斜め向かいに、キヨちゃんという三つ年下の女の子がいた。その女の子に限らず勲の家には、よく子供が遊びに来た。というのも印刷工場というのは、巨大な輪転機や材料の巻き取り紙、そして仕上がった印刷の紙の束を収納する倉庫や工場が必要である。百五十坪の三分の二は工場と倉庫が占領していた。その中の工場は輪転機三台が稼動していて、子供には危険地帯。うす汚れた壁のあちこちに『注意一秒 怪我一生』と書かれた、標語の短冊紙が貼られている。ところが倉庫は子供たちにとっては、格好のかくれんぼの遊び場だ。
 勲の遊び仲間三人と、そのキヨちゃんを加えて、かくれんぼをしているうち、誰が言い出したでもなく、遊びの流れは『お医者さんごっこ』へと移った。そんな名前すら知らない遊びに勲たち男の子が誘い込まれたのは、たぶん、倉庫内のかくれんぼというシチュエーションにあった。高く積み上げられた巻き取り紙や印刷済みの紙の山。その隙間の小さな空間に独りぼっちで息を潜めて、隠れる。鬼に見つかったら負け。何とも言えない緊張感。おしっこちびりそう。ちんちんの辺りが疼く。「なんでやろ?」しかも、何処かに女のキヨちゃんが居る。何か秘め事のような、かくれんぼ。この先どうする?てな、具合ではなかったのか。
 勲は前栽に入り、南天の葉っぱ一枚を『お医者さんごっこ』の道具に千切って来る。そして一本の木の切れ端に、インキの缶々四つ。キヨちゃんは、何が何だか分からない顔でお尻を出している。勲はインキの蓋を開け木の切れ端で、四色のインキを葉っぱの上で色を調合する。それをキヨちゃんのお尻のキャンバスに、塗りたくっていく。その刹那―「これや、これや、この鼠色や!」と叫ぶ勲の声と同調して、キヨちゃんの泣声が倉庫中に響き渡る。 家の前の木の盥(たらい)に水を張った中にキヨちゃんは泣きべそをかいて、素っ裸でしゃがみ込んでいる。「一体何をすんねん、あの子らは!」キヨちゃんのお母さんが怒りながら、束子でお尻のインキを落としている。水と油―、お尻の鼠色は一向に落ちないで、段々と広がって行く。束子でゴシゴシやられたお尻の肌のピンク色と鼠色が一体となって奇妙な〝新色〟へと変貌して行く。その様を見て心の中で、勲は呟く「お父ちゃんに、この新色のこと教えたげなアカンなあ…」と。この一件以来、勲は半年間、倉庫への入庫を厳禁された。又、物心ついたキヨちゃんは通学の時など、勲の家の前を迂回して通る様になった。

愚図愚図と酔いしれて…【一挙掲載版】

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2005.01.15

芥川賞「グランド・フィナーレ」阿部和重!喜び半分?

1994年「アメリカの夜」でデビューした「阿部和重」氏
「記者会見」では…「芥川賞は3回も取り逃がした賞
 …新人に贈られる賞をもらったので複雑な心境です」
「作家」としての「10年」のキャリアを自負するがゆえ?
【芥川賞に阿部和重さん、直木賞は角田光代さん】(asahi.com)

愚図愚図と酔いしれて…【009】

 小学校一年間の、朝行きと昼行きの「二部授業」―。子供たちにとって、同世代の人口がこれまでの日本が、経験し得なかった程の数であることに何の違和感も無い。むしろ友達が多勢いることを愉快にさえ思っていた。
 これから中学・高校・大学へと進学して行くプロセスで生まれる『受験戦争』など露知らず―。しかし、勲はこれからの人生で、この【戦い】というキーワードの場面に度々、遭遇することとなる―。昭和三十年代、勲は小さな人生を下町というホリゾントをバックにして謳歌していた。
 この頃、巷に出現し始めたのが「勉強学校」である。今で言う塾である。一クラス五十数人の中で二~三人は、この「勉強学校」に通っていた。とはいっても成績が悪くても〝ええし〟の子供しか通えない。しかし、そういう生徒は仲間に馬鹿にされていたようである。今の塾の様に進学を目的にしたものではなく、学校で勉強が出来ないから行くという認識であった。だから「勉強学校」である。学校を終えてまで勉強しに行くアホの子供より、表で飛び跳ねているアホの子供のほうが圧倒的に多かった。

 一年生の二学期の級長就任の褒美で買ってもらった自転車を、今では自由自在に勲は操る。この新兵器を手に入れたことによって、勲の行動範囲は格段に拡がった。この日、目指すのは、東洋一の巨大なお化け敷地―大阪砲兵工廠跡地だ!勲が小学校時代まで大阪砲兵工廠跡地は、空襲で焼け落ちた建物の鉄の骨組みだけが、その無残な姿を晒し、立ち入り禁止区域となっていた。しかし、そこは勲たち子供にとっては格好の遊び場でもある。張り巡らされた鉄条網をペンチで切り、秘密の入り口を作り忍び込む。悪ガキ達の腰のバンドにはタコ糸が吊るされ、その先端に「日立モートル」製の小型モーターに内臓されていた、直径八センチ程の中央に穴の空いた、厚み三センチの円形の磁石が、ぶら下がっている。下町の町工場の多い土地柄、子供たちは家で使えなくなったモーターを分解し、磁石を取り出し、それを遊び道具として所持していた。これは凄い磁力を放つ。仲間と共に勲も砲兵工廠跡地の地面をひたすら練り歩く。赤茶けた土の上を、腰から吊り下げられた磁石がコロコロと転がる。まるで魔法のように磁石には、鉄屑やら釘などの獲物が磁場に群がる。この単純な行動を二時間も繰り返せば、そこそこの鉄屑が収穫出来る。その日の成果を菓子箱や小さなドンゴロスの袋に詰め込むと、仕事は終わり。後は近所の屑鉄屋に持ち込めば、一円から五円の収入となる。五円でミカン水一本が買える。遊びが金になる。屑鉄屋の親父も子供の小遣い稼ぎを咎めることもない。親に告げ口していた日には、体が幾つあっても足らない。それほどに子供たちは表に出ては、それぞれのグループ単位で悪戯を創り出しては、実践に移していた。勲たちのグループにとっては、大阪砲兵工廠様々である。
 この大阪砲兵工廠跡地には、戦後、屑鉄の泥棒集団が実在した。それを題材にしたのが小松左京氏のSF小説『日本アパッチ族』である。
 敗戦後、スクラップと化した廃墟に鉄を食べる人間「アパッチ」が棲みつく。鉄を食べることによって、彼らの体は鋼鉄化した、不死身の人間となる。最初は僅かの勢力でしかなかったアパッチたちは次第に全国に広がり、政治・経済まで巻き込み、遂には、現存人類とアパッチ族の、核ミサイルをも引っ張り出す全面戦争にまで発展して行く…。
と言う物語である。一九六四年に発表された作品を、当時の勲が知る筈がないが、考えてみれば、小さなアパッチ族だった。屑鉄は喰わなかったが―。

愚図愚図と酔いしれて…【一挙掲載版】

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2005.01.10

「大阪四季劇場」こけら落とし「マンマ・ミーア!」

「こけら」を漢字で書くと「杮」なのだが…
果物の「柿」とは、全く「別物」の「漢字」である!
「こけら」は「つくり」の「市」の「縦棒」が…
一見では判り難いが、上から下まで貫かれている!
【“関西の四季”本格始動…「マンマ・ミーア!」初日】(サンスポ.com)

愚図愚図と酔いしれて…【004】

 H区に隣接するF市一番の繁華街、F駅北口商店街。南北二キロの賑やかな商店街は勲にとっては「新世界」だ。商店街の中程には近鉄奈良線の踏み切りが日がな一日、上下を繰り返す。この踏み切りを南に渡れば「昭栄座」だ。父、お気に入りの映画館である。今、上映中の映画は嵐寛寿郎・主演の人気シリーズ『鞍馬天狗』。ストーリーはどの時代劇でも同様の「勧善懲悪」。ラストシーンは決まって、悪者に捕まっている、鞍馬天狗を慕う杉作少年達の救出劇。白馬に跨った鞍馬天狗が疾風の如く街道を駆け抜ける。スクリーンに釘付けの老若男女の観客からは、大きな拍手の嵐。その後は「チャンチャンバラバラ砂埃!」立ち回りの末、鞍馬天狗は悪人共を成敗する。鞍馬天狗のニヒルな笑い顔がクローズアップされ、〔終〕の一文字がトラックアップ。そして、左右から幕が自動的に中央に滑り出し、スクリーンを隠す。

 「お父ちゃん、今日、映画観に行ったん違う?」「うっ…違うで…勲連れて鍛冶屋とか鋳造所やら、鋲螺工場を見せに行ったんやがな…」母の詰問に父は動じない。確かにH区には、ハンマーなどを作る鍛冶屋、鉄瓶製造の鋳造所、ネジを切る鋲螺工場が多く、勲も何度か父の自転車の後ろに乗せられて、見に行ったものである。「おかしいなあ…ズボンのポケットの中に、南京豆の皮がようけ入ってるけどねぇ…」父の脱いだ作業ズボンを片付けながら母は、不審の視線を父に投げかける。父は映画館に入る前、必ずお菓子屋で皮の付いた落花生を買う。紙袋に入れてもらうのだが、袋は捨てて中身をポケットに入れる。映画を観ながら右手を突っ込み、指先で皮を剥き、身だけを口に運ぶ。勲も父の真似をする。したがって皮はポケットの中に残る。それを処分しないことを、母は百も承知なのである。こうした父と母のほほえましい会話を兄弟四人は、一家団欒の象徴のように、見つめている。勲だけが自分のポケット中にある落花生の皮を掌で、ぎゅっと握り締めている。何のことはない、映画好きの父は今日、勲をだしに使ったのである。父の印刷工場は四人の職人に任せておいてもいい経営状態だったのだろうか?
 なにはともあれ、父はひっきりなしに幼稚園にやって来ては、勲を早引けさせ、映画やいろんな町工場の作業内容を見学させた。父と母との間で、どんなひと悶着があったのか勲は知ることもなく、A幼稚園をわずか三ヶ月で辞めることが出来た。兄弟が多いこともあって母は幼稚園で習う程度の学習内容を、勲に教えることを、四人の子供に託した。この方が幼稚園よりも、はるかに勲の頭にはスムーズに知恵が蓄積されて行った。

愚図愚図と酔いしれて…【一挙掲載版】

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