稲垣吾郎「Mの悲劇」蓋し迷言?「迷子にされて…」
日曜劇場「Mの悲劇」主演「稲垣吾郎」が記者会見で
初共演となる「長谷川京子」の「印象」を聞かれて…
「目が印象に残る人で、迷子にされてしまっています」
女性の瞳で「迷子にされる」とは?ぜひとも体験したい!
【SMAP稲垣はハセキョーに「迷子にされた」】(サンスポ.com)
愚図愚図と酔いしれて…【010】
「お医者さんごっこ」。この遊びの名前も後になって、ああ、あれがお医者さんごっこだったのか、と知る遊びであった。
勲の家は、学習帳の印刷屋で印刷に使うインキの原液の缶が沢山あった。学習帳とは、小学生用の帳面のこと。国語、算数、理科、社会の各教科に使用するノートである。オーソドックスな線の色は〝鼠色〟。この色を出すのに四~五種類のインキを調合する。
今ならコンピューター管理で色調を出すのだが、当時は職人の勘に頼っていた。勲の父は明治三十七年生まれ。徳島県の小さな村の尋常小学校を出てすぐ、今の印刷工場に丁稚奉公に出た。親方夫婦は徳島から駆け落ちし、その後、印刷業で財を成した。同郷出身のコネを頼って、この工場に奉公に出たのだ。親方夫婦には子供がなく、親戚の女の子を養女に迎え入れていた。勲の父親となるこの丁稚は、なにしろ真面目を絵に描いて、表面に仮漆(ニス)を塗って、額縁に入れたような職人に成長し、親方夫婦の信頼を一身に集めていた。そこで親方夫婦は男を藤田家の跡取りとして養子に取り、先の養女と三々九度の杯を交わさせたのである。
結婚後、養子・養女の夫婦は五男・二女の子宝に恵まれた。七人兄弟姉妹の末っ子が勲である。四つ年上の四男が昭和十九年生まれという事で、勲以外は何らかの戦時中の間に生まれたことになる。そんな状況下で長男・長女は疫痢や腸チフスで、夭逝した。
勲が小学校に上がった頃には、父は学習帳印刷の道では大ベテランの熟練工であった。
さて、インキの調合であるが、勲はよく、父のその作業を遊びの一環として手伝っていた。インキの原液は、図工の時間に使う絵の具よりも数倍、濃くて硬い。それを工業用の油やシンナーを繋ぎにして混ぜていく。父の長年の勘で調合していくプロセスを、手伝うのであるが勲にはある種、泥んこ遊びの快感であった。
調合されたインキは輪転機の二本の、相互に逆回転するローラーの隙間に、金属製のヘラでゆっくりと流し込まれて行く。ローラー一面に広がっていく鼠色のインキが、ローラーの上下で回転する、鉛で、学習帳の罫線に成型された〝版〟の凸面に、へばり付いていく。その間を巻き取り紙が軽やかに通過し、次にミシンのギザギザが降下して、印刷された紙を一メートル単位で切断していく。紙は次の工程で十枚までまとめられ、一本の長さ一メートル・幅五センチ・十本組みに立て掛けられた、竹の柵の下方に落ちる。と同時に竹の柵は、素早くバタンと前方に倒れ、十枚の印刷された紙の束が仕上がり台に落ち着く。この動作が続き、十回、つまり紙が百枚の束に成ったところで、仕上がり台から紙を両手で引き抜き、半分に折り、木製のパレット台に広げて積み上げていく。一本の巻取り紙は約五十分かけて学習帳に姿を変えて行く。まだインキの匂いのする紙に印刷された〝線〟は父と一緒に混ぜ合わせた色と全く同じ。当たり前のこの事実が、勲にとっては心高まる喜びでもあった。「お父ちゃんは天才や!近所の誰も真似でけへん!」勲は父を尊敬し、この印刷屋がとても好きであった。それは、大人の仕事を手伝ったという、ちっぽけな優越感だったのだろう。


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