芥川賞「グランド・フィナーレ」阿部和重!喜び半分?
1994年「アメリカの夜」でデビューした「阿部和重」氏
「記者会見」では…「芥川賞は3回も取り逃がした賞
…新人に贈られる賞をもらったので複雑な心境です」
「作家」としての「10年」のキャリアを自負するがゆえ?
【芥川賞に阿部和重さん、直木賞は角田光代さん】(asahi.com)
愚図愚図と酔いしれて…【009】
小学校一年間の、朝行きと昼行きの「二部授業」―。子供たちにとって、同世代の人口がこれまでの日本が、経験し得なかった程の数であることに何の違和感も無い。むしろ友達が多勢いることを愉快にさえ思っていた。
これから中学・高校・大学へと進学して行くプロセスで生まれる『受験戦争』など露知らず―。しかし、勲はこれからの人生で、この【戦い】というキーワードの場面に度々、遭遇することとなる―。昭和三十年代、勲は小さな人生を下町というホリゾントをバックにして謳歌していた。
この頃、巷に出現し始めたのが「勉強学校」である。今で言う塾である。一クラス五十数人の中で二~三人は、この「勉強学校」に通っていた。とはいっても成績が悪くても〝ええし〟の子供しか通えない。しかし、そういう生徒は仲間に馬鹿にされていたようである。今の塾の様に進学を目的にしたものではなく、学校で勉強が出来ないから行くという認識であった。だから「勉強学校」である。学校を終えてまで勉強しに行くアホの子供より、表で飛び跳ねているアホの子供のほうが圧倒的に多かった。
一年生の二学期の級長就任の褒美で買ってもらった自転車を、今では自由自在に勲は操る。この新兵器を手に入れたことによって、勲の行動範囲は格段に拡がった。この日、目指すのは、東洋一の巨大なお化け敷地―大阪砲兵工廠跡地だ!勲が小学校時代まで大阪砲兵工廠跡地は、空襲で焼け落ちた建物の鉄の骨組みだけが、その無残な姿を晒し、立ち入り禁止区域となっていた。しかし、そこは勲たち子供にとっては格好の遊び場でもある。張り巡らされた鉄条網をペンチで切り、秘密の入り口を作り忍び込む。悪ガキ達の腰のバンドにはタコ糸が吊るされ、その先端に「日立モートル」製の小型モーターに内臓されていた、直径八センチ程の中央に穴の空いた、厚み三センチの円形の磁石が、ぶら下がっている。下町の町工場の多い土地柄、子供たちは家で使えなくなったモーターを分解し、磁石を取り出し、それを遊び道具として所持していた。これは凄い磁力を放つ。仲間と共に勲も砲兵工廠跡地の地面をひたすら練り歩く。赤茶けた土の上を、腰から吊り下げられた磁石がコロコロと転がる。まるで魔法のように磁石には、鉄屑やら釘などの獲物が磁場に群がる。この単純な行動を二時間も繰り返せば、そこそこの鉄屑が収穫出来る。その日の成果を菓子箱や小さなドンゴロスの袋に詰め込むと、仕事は終わり。後は近所の屑鉄屋に持ち込めば、一円から五円の収入となる。五円でミカン水一本が買える。遊びが金になる。屑鉄屋の親父も子供の小遣い稼ぎを咎めることもない。親に告げ口していた日には、体が幾つあっても足らない。それほどに子供たちは表に出ては、それぞれのグループ単位で悪戯を創り出しては、実践に移していた。勲たちのグループにとっては、大阪砲兵工廠様々である。
この大阪砲兵工廠跡地には、戦後、屑鉄の泥棒集団が実在した。それを題材にしたのが小松左京氏のSF小説『日本アパッチ族』である。
敗戦後、スクラップと化した廃墟に鉄を食べる人間「アパッチ」が棲みつく。鉄を食べることによって、彼らの体は鋼鉄化した、不死身の人間となる。最初は僅かの勢力でしかなかったアパッチたちは次第に全国に広がり、政治・経済まで巻き込み、遂には、現存人類とアパッチ族の、核ミサイルをも引っ張り出す全面戦争にまで発展して行く…。
と言う物語である。一九六四年に発表された作品を、当時の勲が知る筈がないが、考えてみれば、小さなアパッチ族だった。屑鉄は喰わなかったが―。


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