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2005.01.01

愚図愚図と酔いしれて…【一挙掲載版】其ノ壱

愚図愚図と酔いしれて…【001】

 アルバムの整理をしたくなった。二十数年間、春先になる度に考えていたことである。裏山の雑木林では「きょほけ」と、いったい何者であるのか、得体の知れないものが泣き出すのも、いつもの歳のそれである。
 男はまだ山積みになった写真の一枚も新しいアルバムに、その思い出の印を置いてはいない。書斎の机の片隅にある、数冊の古いアルバムの一番古い一冊が開かれている。小さな額には〝大〟の字が塗られている。祖母に抱かれた嬰児の宮参りである。一枚のセピア色の写真が、遠い時の流れの源に辿り着いている。
 昭和二十三年、七月二十六日、男は大阪、H区の下町の印刷工場の七人兄弟の末っ子、五男坊として生を受ける。

 『世界史始まって以来の戦争製造者を罰する裁判』と、アメリカ大統領・トルーマンが語った「東京裁判」。
 昭和二十三年十一月十二日、A級戦犯二十五人に判決が下された。
 陸軍大将・東条英機、第一次近衛内閣外務大臣・広田弘毅、元在満特務機関長・土肥原賢二、ビルマ方面軍司令官・木村兵太郎ら七人に絞首刑。終身禁固刑十六人、禁固二十年一人、同七年一人。
 この他、各地で戦犯裁判を受けた人員四千二百五十七人。うち死刑は九百十一人であった。天皇の名において始めた戦争。その戦いに敗れた時、裁かれた多くは一枚の〝赤紙〟で召集された善良な市民であった。その名を「B・C級戦犯」と呼ぶ。
 『裁く手は汚れていなかったか?』といわれた、極東国際軍事裁判は、ナチスに対するニュールンベルグ裁判より過酷な終焉であった。
 翌、昭和二十四年十月十九日、GHQは戦犯裁判の終了を宣言した。
 昭和十六年十二年八日、日本海軍の真珠湾攻撃から数えて七年十ヶ月の時が流れていた。この年、東京都教組が「男女同一賃金」を獲得、民主自由党が結成され、総裁に吉田茂が就任。新制高校・大学が発足した。
 世界情勢から見ると、何とも気恥ずかしい日本の民主化のスタートであった。

愚図愚図と酔いしれて…【002】

 大阪・H区の下町で生まれた男の名は藤田勲。家業は学習帳の印刷屋。三台の大型輪転機と従業員は、勲の父と四人の職人という町工場である。大手文房具会社の下請けで、結構儲けていたようだ。ようだ・・・というのは勲が物心ついた頃には、あまり景気が良くなかったからである。家の前で近所の子供たちと遊んでいる時、見知らぬ大人が「ぼん、お父ちゃんいてるか?」と尋ねられると必ず「おっちゃん、節季にしてや!」と答えたものである。大阪の商売人の言う〝節季〟とは、その月の勘定期、つまり〝月末〟のこと。
 母親が得意先や、付けで買っている近所の食料品屋への応対で、この節季と言う言葉を意味知らず覚えていたのだ。だから大人の訪問は「借金の催促なんや」と思い込んでいたようだ。それでも、五人の子供と二人の住み込み職人の食事や洗濯、雑用を手伝う、これ又、住み込みの女中(この頃、お手伝いさんという言葉は無い)が一人居たということはまだ裕福だったのだろうか。
 勲の住むH区の北東の端には田圃が点在していた。大坂上町台地を東西に延びる国道も東は、深江橋の十三間道路で行き止まり。ここからは細い地道に姿を変えて放出(はなてん)街道と交わる。その地道の横に小川が流れる。街道に出る少し手前には、通称「一本橋」と呼ばれる、人ひとりが通れる位の橋が架かっている。この橋を北に渡れば隣のJ区。
 そこにはまだ「軍人住宅」と呼ばれる、府営の平屋住宅が建ち並ぶ。終戦後、駐留米軍の為の住居として建てられたものである。何故ここに軍人住宅が建てられたのかというと、西に四キロ程の所に大阪城がある。
 大阪城周辺には戦前、重要な軍事施設が多数あった。城の隣には陸軍の第四師団の司令部、そして東の堀の下には東洋一の兵器工場「大阪砲兵工廠」が拡がっていた。太平洋戦争末期には約六万人が兵器製造に携わっていた。
 東京大空襲の三日後の昭和二十年三月十三日深夜から未明にかけて、最初の大阪大空襲が行われた。大阪砲兵工廠は米軍にとって大きなターゲットである。大阪はその後、六月一日、七日、十五日、二十六日、七月十日、二十四日、そして終戦の前日、八月十四日にも大空襲に見舞われた。これらの空襲で一般市民一万人以上が死亡したと言われている。大阪砲兵工廠に近いJ区の南端に、戦後処理の為の駐留米軍の「軍人住宅」が建てられたのも納得出来る。
 勲の家の倉庫のトタン屋根の端には、今も焼夷弾の痕の穴が残っている。父の話では、南方戦線での日本軍の劣勢が伝えられるようになってからは、焼夷弾爆撃が頻繁に繰り返されたという。そして、空襲警報の度に親子六人と祖父、祖母は敷地の中の小さな防空壕に身を潜めた。勲は終戦の三年後に生まれる。

愚図愚図と酔いしれて…【003】

 J区の軍人住宅の中にあるA幼稚園の年少組に勲は入園させられた。させられた…勲の思いである。幼稚園に行くのがとにかく嫌だった。年少組は「ももぐみ」と「かえでぐみ」年長組は「ゆりぐみ」勲は「かえでぐみ」。
 通い始めた頃は愉しみがあった。講堂での自転車遊び。子供用の自転車には、後輪の左右に補助のための小さな車輪が付いている。誰も補助輪なしでは乗れない。自転車は高級品で、よほどの金持ちの家の子供しか持っていない。だから園児たちは〝夢の乗り物〟自転車を取り合う。勲はいつも父に早い時間に幼稚園まで送ってもらう。勿論、父の自家用自転車だ。幼稚園に着くと一目散に講堂を目指す。「いちばんのりや!」肩から斜めにぶらさげた小さな黄色いバックもそのままに、自転車に飛び乗る。体重を左にかけペダルを踏む。講堂内を左回りにグルグルグルグル疾走する。二人、八人、十五人…もう定員オーバーだ。自転車は十五台しかない。乗っているのは、年少組ばかり。そこへ年長組の奴らが連れ立ってやって来る。
「おい、かせや!じぶんらもうええやろ!」年長組の奴らは体も年少組より、一回りデカイ。言われるままに、せっかく確保した自転車は乗っ取られる。泣き叫ぶ園児も多い。勲はというと声は出さねど、泣きっ面。「おかあちゃんにいうたるさかいにな!」心の叫び。こんなことが日々、つづく。勲の頭の中の思考は、もはや〝登園拒否〟。それは、父の知るところとなる。退園時間に父は毎日、自転車で迎えに来てくれる。勲の通園は送り迎え付き。父の自転車の後ろの荷台には座布団が紐で結んである。そこは勲の特等席だ。そこにチョコンと座って両手を父の腰に回すと何故かホッとして、涙が溢れ出す。嫌な幼稚園から救い出された気分なのだ。「勲、どうしたんや?何で泣いてるんや?」優しく問われると、いっそう悲しくなる。「おとうちゃん…もうようちえん…いくの、いやや…」「…そうかぁ…そんな行くのん嫌やったら、行かんでもええがな…」理由など聞かない。「そやけど、おかあちゃんにおこられるぅ…」「かまへん、お父ちゃんが、あんじょう言うたるさかいに…」父の腰に回した勲の小さな腕に、力がこもる。「勲、まだ昼やし、映画でも観に行こか?」「ほんま!」。

愚図愚図と酔いしれて…【004】

 H区に隣接するF市一番の繁華街、F駅北口商店街。南北二キロの賑やかな商店街は勲にとっては「新世界」だ。商店街の中程には近鉄奈良線の踏み切りが日がな一日、上下を繰り返す。この踏み切りを南に渡れば「昭栄座」だ。父、お気に入りの映画館である。今、上映中の映画は嵐寛寿郎・主演の人気シリーズ『鞍馬天狗』。ストーリーはどの時代劇でも同様の「勧善懲悪」。ラストシーンは決まって、悪者に捕まっている、鞍馬天狗を慕う杉作少年達の救出劇。白馬に跨った鞍馬天狗が疾風の如く街道を駆け抜ける。スクリーンに釘付けの老若男女の観客からは、大きな拍手の嵐。その後は「チャンチャンバラバラ砂埃!」立ち回りの末、鞍馬天狗は悪人共を成敗する。鞍馬天狗のニヒルな笑い顔がクローズアップされ、〔終〕の一文字がトラックアップ。そして、左右から幕が自動的に中央に滑り出し、スクリーンを隠す。

 「お父ちゃん、今日、映画観に行ったん違う?」「うっ…違うで…勲連れて鍛冶屋とか鋳造所やら、鋲螺工場を見せに行ったんやがな…」母の詰問に父は動じない。確かにH区には、ハンマーなどを作る鍛冶屋、鉄瓶製造の鋳造所、ネジを切る鋲螺工場が多く、勲も何度か父の自転車の後ろに乗せられて、見に行ったものである。「おかしいなあ…ズボンのポケットの中に、南京豆の皮がようけ入ってるけどねぇ…」父の脱いだ作業ズボンを片付けながら母は、不審の視線を父に投げかける。父は映画館に入る前、必ずお菓子屋で皮の付いた落花生を買う。紙袋に入れてもらうのだが、袋は捨てて中身をポケットに入れる。映画を観ながら右手を突っ込み、指先で皮を剥き、身だけを口に運ぶ。勲も父の真似をする。したがって皮はポケットの中に残る。それを処分しないことを、母は百も承知なのである。こうした父と母のほほえましい会話を兄弟四人は、一家団欒の象徴のように、見つめている。勲だけが自分のポケット中にある落花生の皮を掌で、ぎゅっと握り締めている。何のことはない、映画好きの父は今日、勲をだしに使ったのである。父の印刷工場は四人の職人に任せておいてもいい経営状態だったのだろうか?
 なにはともあれ、父はひっきりなしに幼稚園にやって来ては、勲を早引けさせ、映画やいろんな町工場の作業内容を見学させた。父と母との間で、どんなひと悶着があったのか勲は知ることもなく、A幼稚園をわずか三ヶ月で辞めることが出来た。兄弟が多いこともあって母は幼稚園で習う程度の学習内容を、勲に教えることを、四人の子供に託した。この方が幼稚園よりも、はるかに勲の頭にはスムーズに知恵が蓄積されて行った。

愚図愚図と酔いしれて…【005】

 勲が小学校に上がった当初は、二部授業であった。生徒数に教室の数がまったく間に合わず、朝行きと昼行きとの二部交替制の授業であった。朝行きは午前八時半、昼行きは午後十二時半からの授業である。朝行きは昼から遊べるし、昼行きは午前中遊べる。どちらにしても勲の頭の中は、遊びでいっぱい。
 足袋を履いてズック靴という奇妙なスタイルでの通学。近所の子供たちと遊ぶ時は、下駄履きだった。だから、こんな遊びが流行っていた。♪下~駄~隠し ちゅうれんぼ~ 橋の下の ねずみが~ 草履をくわえて チュッチュクチュ チュッチュク饅頭は 誰が喰た~ 誰も喰わない わしが喰た~ 表の看板 三味線屋 裏から回って 三軒目 プッとこいてプッとこいて プッ プッ プッ!
 男の子も女の子も、自分の下駄の片方を出し、横一列に並べる。そして、先のわらべ唄を大声で歌う。唄に合わせて列の左端から、指で下駄を指しながら、指を下駄一つずつ、右へ移動させていく。唄の終わりで止まった下駄の子が鬼。残りの子は鬼が目をつむって百を数えている間に、自分の下駄を隠し鬼が探す。鬼ごっこの一種である。
 又、天気予報にも下駄が活躍した。「あ~した天気にな~れ!」と、同時に下駄の片方を空に向かって蹴り上げる。落ちてきた下駄が表向きなら晴れ、裏向きなら雨、横向きに立てば、雪である。「夏やのに、雪?」勲は、この天気予報は信じない。
 さて、小学校だが・・・冬には教室の前の左右に大きな火鉢が置かれていて、室内暖房の役を果たしてくれる。又それは調理器にもなる。給食のコッペパンを炭火で焼いて食べるのである。勿論、飲みものは脱脂粉乳である。勲はこの給食が大の苦手であった。担任の先生と一緒に食べるのだが、コッペパン、おかず(大体が大根、人参、じゃがいもの煮付けである)は無論のこと、脱脂粉乳すべて平らげなければならない。脱脂粉乳の入ったアルマイトの器の底には、こげ茶色の物質が沈殿している。これが苦手だ。上澄みの乳白色の液体と混ぜればいいのだが…。なにひとつ残さず食べ終わるまで、昼休み時間の運動場での「ちんぽ踏みん」遊びが出来ない。「ちんぽ踏みん」とはまず、アルマイトの薬缶に水を入れ、それで校庭の土の上に図を描く。一辺の中央に一メートル程の隙間を開けた十メートルの正方形を型取る。その周りに波型の線を正方形に近づけたり、離したりして正方形を囲む。いわゆる"サザエさんごっこ"の変形である。正方形の一メートルの隙間の対角方向には、蛇がくねくねしたような細長いスペースを伸ばす。その先端を水で丸く塗り潰す。これが《宝》である。蛇のくねくねが「ちんぽ」なのである。
 グッパで十五人ずつの敵味方を決める。先行組が攻撃し、後攻組が防御する。「戦争~開始!」を合図に攻撃組が正方形の外側の波型のスペースを走り、一メートルの隙間を目指す。防御側は正方形の中から敵を波型の線の外に突き出そうとする。突き出されたら負け、又、正方形の外に防御側が引っ張り出されたら負け。こうした攻防を経て、攻撃側の生き残りが一メートルの隙間から敵陣になだれ込む。防御側はちんぽの先端の《宝》を守る。ここからの戦いは相撲である。投げ飛ばされる者、正方形の外に押し出される者、その合間を縫って、ちんぽの先の《宝》を目指して、敵・味方が走り込む。そして、最後はちんぽ内の壮絶な戦いとなる。くねくねした線の外に出れば負け。
 かくして、目指す《宝》を踏破した者が覇者となり、仲間から拍手喝采を浴びる。この遊びに勲はしばしば、給食の食べ遅れで不参加を余儀なくされた。もっとも、早晩、この遊びは、命名が下品な事と合わせて、陣地取り合戦が過熱し、怪我人が多く出たために校長が「ちんぽ踏みん禁止令」を発動することとなるのだが・・・。

愚図愚図と酔いしれて…【006】

 給食以上に勲が苦手なのが虫下し。当時、子供たちの胃腸の中には、回虫の類がよく居たものである。検査をしてから疑わしき者に回虫駆除の薬を与えるという、邪魔くさく又、悠長な事はしておれぬ。団塊の世代、とにかく生徒数の多さは、半端じゃない。講堂に一クラスずつ呼びつけられ、そこで海人草(まくり)というものを飲まされる。チャップリンの映画『モダンタイムス』並みの、流れ作業だ。六歳や七歳の子供にとって、この液体が何であるかなど知る由も無い。黒紫色のドロドロした不気味な〝毒〟を飲まされるのである。「だっしふんにゅうと、いっしょや…」勲は、呟く。
 この海人草とは辞書によると『フジマツモ科の紅藻。紀伊半島から台湾までの干潮線下の岩上に産する。体は円柱状で高さ約八センチ。強靭で不規則に分岐し、毛状突起を密布。黒紫色で乾燥すればやや樺色に変ずる。回虫駆除に用いる。どくまくり。)』
 やはり毒だ!この解説を聞いただけで吐き気を催す。およそ人類が口にするシロモノではない。ましてや、戦後日本の未来を担う団塊の世代の少年期に飲ませるモノなのか!しかし先生には絶対服従。目を瞑って鼻を摘まんで一気に食道に流し込む。「ブーッ」という溜息とも、吐息ともつかぬ奇声が講堂中を右往左往して、飛び交う。しかし、誰一人として、この海人草を飲むことに反旗を翻さない。というのもこの悪夢の一瞬さえ耐え忍べば小さなセコイ、飴が一個もらえるのである。この飴欲しさに〝毒〟を飲む。この虫下しこそ〝飴と鞭〟なのである。

 夏休みも終わり二学期が始まる。この期から各クラスでは級長と副級長が選ばれる。とはいっても一年生は生徒による選挙ではなく担任の先生が指名する。何故か勲が級長に、百合という苗字の女の子が副級長に指名された。一年坊主の級長の仕事といってもたかがしれたもの。一時間目の授業に先生が教室に入って来ると素早く「起立!礼!着席!瞑目!」と大きな声で号令を掛けて、生徒全員がそれに従った動作を取る。それだけの事だ。
しかし、勲にとってこの級長は別の大きな意味を持っていた・・・筈だった。夏休みの間、勲は近所の子供たちと原っぱや田圃で走り回って、遊びほうけていた。夕方になって母が家に帰るよう呼びに来る。すると皆で「からすが鳴くからか~えろ!」と合唱して、それぞれ家路に着く。そして夕餉の卓袱台を家族で囲む。その折、母が言う「勲なあ、二学期になって級長さんになったらなあ、お父ちゃんがなあ、自転車こうてくれはるらしいで」「えっ、お父ちゃん、ほんま?」「うっ……ほんまや…」父が神様に見えた。兄や姉も微笑んでいる。次の日から勲は午前中、宿題の『夏休みの友』を済ませてから、外に飛び出すようになった。それ以降、父も母も級長の話には一切触れずじまいだった。遊びほうけている勲の鼻先に、自転車という人参を家族全員で、ぶら下げたのだ。ところが〝瓢箪から独楽〟勲は級長になってしまった。

愚図愚図と酔いしれて…【007】

この日、勲は道草もせず走って家に向かった。ランドセルを玄関に放り投げて工場に入る。「お母ちゃんぼく、級長さんになったで!」和服に割烹着、頭は姉さん被りのいでたちで母は、輪転機が刷り上げた学習帳の束を、木のパレット台に積み上げている。母は父の仕事を手伝っている。母の反応が鈍い。父の所へ走る。「お父ちゃん、ぼく、級長さんになったで!」父は輪転機の騒音で聞こえない振りを決め込んでいるふうである。「………お父ちゃん、お母ちゃんのウソつき!」
勲は工場の小さな事務所の横の急な階段を駆け上る。その右の引き戸を開ければ十五畳程の変形の和室。住み込みの二人の職人部屋。左は木の床の倉庫と物置。物置は下は木、上半分は鮮やかなステンドグラスが嵌め込まれたドアで仕切られ、中は八畳程の細長いスペース。左右に棚が設えられてある。そこには、祖父の宝物が納められている。
 祖父と祖母は、徳島県出身。母の話によると・・・「おじいちゃんとおばあちゃんはな、年頃に相思相愛になりはってなあ」「そうしそうあいて、なに?」「お互いに、べた惚れちゅうことや。ところがやな、おじいちゃんのおとうさんと、おかあさん、ほんで、おばあちゃんの、おとうさんと、おかあさん、おまけに、おじいちゃんのおじさん、おばあちゃんのおばさんが、えらい反対しはってなぁ…」「えらい、ややこしいなぁ」「おじいちゃんと、おばあちゃんはどうしても夫婦(めおと)になりたい。考えて考えて考え抜いて、或る日こっそり二人して、駆け落ちしやはったんや」「かけっこして、どっかに落ちはったん?」「黙って聞き!徳島港の待合室の便所の横に、ひっそり身を隠して夜明けを待ちはったんや」「はよ、べんじょはいって、おしっこしたらええのに…」「………ほんで朝一番の明石行きの連絡船に乗って、無事、駆け落ちは成功したいうわけや!」
 勲の祖父と祖母は、大阪に出る。明治三十六年に大阪では「内国勧業博覧会」今でいう国内版エクスポが開催された。大阪では明治以降になって、繊維業を中心にして〝工場制度の導入〟が計られた。明治の大阪は、工場時代の到来であった。祖父と祖母は中之島・樋之上町に小さな平版の印刷工場を持つに至った。行政の工場制度推進の波に乗って商売は、とんとん拍子で拡大していった。本町や末吉橋には紙を扱う問屋が集まり出し、紙加工や印刷、製本業は活況を呈した。
 その勢いを駆って、祖父はH区に百五十坪の土地を買い、住宅・工場・倉庫併設の居を構えた。印刷事業拡大は効を奏し、三台の大型輪転機はフル稼働、印刷された学習帳の紙の山は両隣の製本屋に運ばれ、ノートサイズに裁断され、次々と製本に仕上って行く。
 印刷事業に成功を収めた祖父は、茶の湯を趣味とした。茶器類は言うに及ばず、伊万里や備前、九谷の大皿等の収集に心血を注いだ。それら、祖父の宝物が棚に仕舞われている。祖父、祖母とも勲が幼いうちに逝った。奥の間の床の間に飾るもの以外は、物置に収納されている。ここは幼い勲は立ち入り禁止区域。しかし、級長になれば褒美の自転車を買ってやるという約束を反故にされた勲は、独りぼっちになりたかった。兄や姉も謀略に加担したのだ。物置のステンドグラスのドアは、内から鍵が掛かる。「だれがよびにきても、ぜったい、そとにでえへんからな…」篭城を決め込む。
 輪転機の轟音が止み、職人たちの階段を登ってくる足音が響く。部屋に入る。「もうちょっとしたら、ばんごはんや。ほんなら、お母ちゃんも、ぼくをよびにきてくれる…」甘い考えだった。工場に居た誰一人として勲が物置に隠れていることを知らない。物置には四十ワットの裸電球ひとつ。それを灯す。薄暗い。しーんとした静寂が、勲を包み込む。ガシャ~ン!鍵を掛けたことを忘れた勲は掌でステンドグラスを内側から、打ち破った。

愚図愚図と酔いしれて…【008】

 一週間後。右手に包帯を巻いた勲は、小学校の玄関に立っている。外は雨。友達のお母さん達は傘を持って子供を迎えに来ている。「お母ちゃん、遅いわ!」母は専業主婦ではない、家業を手伝っている。だから迎えに来るのが遅れる。いつもなら待つのだが、勲はここ一週間、拗ね虫である。校門を出て雨の中を歩く。わざと水溜りに入る。ズック靴はズブズブ。「おこられても、かめへん…うそついた、お母ちゃんがわるいんや!」「勲!堪忍な、遅れてしもて…」「……ウワァ~ン!」母のお腹の辺りに抱きついて勲は、号泣する。この一週間の何ともやるせない想いが、勲をそうさせた。「けったいな子やな、この子は…あんなあ勲、うちに帰ったら、ええもんあげるさかいに、機嫌なおすんやでぇ」
 家に着くと、自宅と隣の倉庫の間の通路に父が佇んでいる。「お帰り勲」「ただいま…」「どないしたんや?いつもの元気、どこへいってしもたんや」「そやかて…」「一寸こっち入り」父は倉庫の横開きの扉を右に開く。左側から視界が、ゆっくりとひらけて行く。「ウワァ~ウワァ~…じ、じ、自転や!」
 倉庫の天窓から差し込む、雨の日の日差しの中にブルーのピカピカの車体が、勲に微笑みかけている。
 その夜から勲の、自転車乗りの特訓が始まる。幼稚園の講堂での自転車乗りは、補助輪付き。新車に、それは無い。真新しいサドルに跨った勲を、後ろの荷台に手を添えて父が支える。
「勲、ペダル、漕ぎ!」勲は、ゆっくりとペダルを踏む。父は自転車を、思い切り、押しやる。勲は、ペダルを漕ぐ…。地道には石ころや、穴ぼこが点在する。ハンドルが、それらの抵抗を受けて右往左往する。バタン!五メートルも行かない内に、左に倒れる。こんな事が、三十分も続く。
 今度は五メートルをクリアした。「勲、その調子や!ええで、ええで!」後ろで車体を支えているはずの父の声が、遠い。振り向く、勲。父は手を放している。「えっ、ボク、一人で自転車漕いでんのん?」不安が頭をよぎる。いつの間にか、足が止まっている。バランスを崩しそうになる。勲、ペダル漕ぐんや!」その声に支えられ、勲は必死にペダルを漕ぎ続ける。二十メートル、五十メートル…
 勲は、角を左に曲がる。雨上がりの道の、そこここに水溜りが顔を覗かせる。それらをひょいひょいと避け、疾走する。「やったあ!ひとりで自転車、乗れたあ!」大喜びの勲の脳裏には、早くも来年春の光景が写し出されている。「二ねんせいの、一がっきも、級長になろ!」実際、二年生の一学期に勲は級友の選挙で級長に選ばれ、欲しかった勉強机をゲットした。

愚図愚図と酔いしれて…【009】

 小学校一年間の、朝行きと昼行きの「二部授業」―。子供たちにとって、同世代の人口がこれまでの日本が、経験し得なかった程の数であることに何の違和感も無い。むしろ友達が多勢いることを愉快にさえ思っていた。
 これから中学・高校・大学へと進学して行くプロセスで生まれる『受験戦争』など露知らず―。しかし、勲はこれからの人生で、この【戦い】というキーワードの場面に度々、遭遇することとなる―。昭和三十年代、勲は小さな人生を下町というホリゾントをバックにして謳歌していた。
 この頃、巷に出現し始めたのが「勉強学校」である。今で言う塾である。一クラス五十数人の中で二~三人は、この「勉強学校」に通っていた。とはいっても成績が悪くても〝ええし〟の子供しか通えない。しかし、そういう生徒は仲間に馬鹿にされていたようである。今の塾の様に進学を目的にしたものではなく、学校で勉強が出来ないから行くという認識であった。だから「勉強学校」である。学校を終えてまで勉強しに行くアホの子供より、表で飛び跳ねているアホの子供のほうが圧倒的に多かった。

 一年生の二学期の級長就任の褒美で買ってもらった自転車を、今では自由自在に勲は操る。この新兵器を手に入れたことによって、勲の行動範囲は格段に拡がった。この日、目指すのは、東洋一の巨大なお化け敷地―大阪砲兵工廠跡地だ!勲が小学校時代まで大阪砲兵工廠跡地は、空襲で焼け落ちた建物の鉄の骨組みだけが、その無残な姿を晒し、立ち入り禁止区域となっていた。しかし、そこは勲たち子供にとっては格好の遊び場でもある。張り巡らされた鉄条網をペンチで切り、秘密の入り口を作り忍び込む。悪ガキ達の腰のバンドにはタコ糸が吊るされ、その先端に「日立モートル」製の小型モーターに内臓されていた、直径八センチ程の中央に穴の空いた、厚み三センチの円形の磁石が、ぶら下がっている。下町の町工場の多い土地柄、子供たちは家で使えなくなったモーターを分解し、磁石を取り出し、それを遊び道具として所持していた。これは凄い磁力を放つ。仲間と共に勲も砲兵工廠跡地の地面をひたすら練り歩く。赤茶けた土の上を、腰から吊り下げられた磁石がコロコロと転がる。まるで魔法のように磁石には、鉄屑やら釘などの獲物が磁場に群がる。この単純な行動を二時間も繰り返せば、そこそこの鉄屑が収穫出来る。その日の成果を菓子箱や小さなドンゴロスの袋に詰め込むと、仕事は終わり。後は近所の屑鉄屋に持ち込めば、一円から五円の収入となる。五円でミカン水一本が買える。遊びが金になる。屑鉄屋の親父も子供の小遣い稼ぎを咎めることもない。親に告げ口していた日には、体が幾つあっても足らない。それほどに子供たちは表に出ては、それぞれのグループ単位で悪戯を創り出しては、実践に移していた。勲たちのグループにとっては、大阪砲兵工廠様々である。
 この大阪砲兵工廠跡地には、戦後、屑鉄の泥棒集団が実在した。それを題材にしたのが小松左京氏のSF小説『日本アパッチ族』である。
 敗戦後、スクラップと化した廃墟に鉄を食べる人間「アパッチ」が棲みつく。鉄を食べることによって、彼らの体は鋼鉄化した、不死身の人間となる。最初は僅かの勢力でしかなかったアパッチたちは次第に全国に広がり、政治・経済まで巻き込み、遂には、現存人類とアパッチ族の、核ミサイルをも引っ張り出す全面戦争にまで発展して行く…。
と言う物語である。一九六四年に発表された作品を、当時の勲が知る筈がないが、考えてみれば、小さなアパッチ族だった。屑鉄は喰わなかったが―。

愚図愚図と酔いしれて…【010】

「お医者さんごっこ」。この遊びの名前も後になって、ああ、あれがお医者さんごっこだったのか、と知る遊びであった。
 勲の家は、学習帳の印刷屋で印刷に使うインキの原液の缶が沢山あった。学習帳とは、小学生用の帳面のこと。国語、算数、理科、社会の各教科に使用するノートである。オーソドックスな線の色は〝鼠色〟。この色を出すのに四~五種類のインキを調合する。
 今ならコンピューター管理で色調を出すのだが、当時は職人の勘に頼っていた。勲の父は明治三十七年生まれ。徳島県の小さな村の尋常小学校を出てすぐ、今の印刷工場に丁稚奉公に出た。親方夫婦は徳島から駆け落ちし、その後、印刷業で財を成した。同郷出身のコネを頼って、この工場に奉公に出たのだ。親方夫婦には子供がなく、親戚の女の子を養女に迎え入れていた。勲の父親となるこの丁稚は、なにしろ真面目を絵に描いて、表面に仮漆(ニス)を塗って、額縁に入れたような職人に成長し、親方夫婦の信頼を一身に集めていた。そこで親方夫婦は男を藤田家の跡取りとして養子に取り、先の養女と三々九度の杯を交わさせたのである。
 結婚後、養子・養女の夫婦は五男・二女の子宝に恵まれた。七人兄弟姉妹の末っ子が勲である。四つ年上の四男が昭和十九年生まれという事で、勲以外は何らかの戦時中の間に生まれたことになる。そんな状況下で長男・長女は疫痢や腸チフスで、夭逝した。
 勲が小学校に上がった頃には、父は学習帳印刷の道では大ベテランの熟練工であった。
 さて、インキの調合であるが、勲はよく、父のその作業を遊びの一環として手伝っていた。インキの原液は、図工の時間に使う絵の具よりも数倍、濃くて硬い。それを工業用の油やシンナーを繋ぎにして混ぜていく。父の長年の勘で調合していくプロセスを、手伝うのであるが勲にはある種、泥んこ遊びの快感であった。
 調合されたインキは輪転機の二本の、相互に逆回転するローラーの隙間に、金属製のヘラでゆっくりと流し込まれて行く。ローラー一面に広がっていく鼠色のインキが、ローラーの上下で回転する、鉛で、学習帳の罫線に成型された〝版〟の凸面に、へばり付いていく。その間を巻き取り紙が軽やかに通過し、次にミシンのギザギザが降下して、印刷された紙を一メートル単位で切断していく。紙は次の工程で十枚までまとめられ、一本の長さ一メートル・幅五センチ・十本組みに立て掛けられた、竹の柵の下方に落ちる。と同時に竹の柵は、素早くバタンと前方に倒れ、十枚の印刷された紙の束が仕上がり台に落ち着く。この動作が続き、十回、つまり紙が百枚の束に成ったところで、仕上がり台から紙を両手で引き抜き、半分に折り、木製のパレット台に広げて積み上げていく。一本の巻取り紙は約五十分かけて学習帳に姿を変えて行く。まだインキの匂いのする紙に印刷された〝線〟は父と一緒に混ぜ合わせた色と全く同じ。当たり前のこの事実が、勲にとっては心高まる喜びでもあった。「お父ちゃんは天才や!近所の誰も真似でけへん!」勲は父を尊敬し、この印刷屋がとても好きであった。それは、大人の仕事を手伝ったという、ちっぽけな優越感だったのだろう。

【一挙掲載版】其ノ弐
【連載】は…まだまだ続きます!ご愛読頂ければ幸いです!

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