高校ラグビー!大阪「啓光学園」戦後初!4連覇
「ロイヤルブルー」のジャージが「花園」20連勝!
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【偉業!快挙!啓光学園、戦後初4連覇!花園20連勝!】(サンスポ.com)
愚図愚図と酔いしれて…【001】
アルバムの整理をしたくなった。二十数年間、春先になる度に考えていたことである。裏山の雑木林では「きょほけ」と、いったい何者であるのか、得体の知れないものが泣き出すのも、いつもの歳のそれである。
男はまだ山積みになった写真の一枚も新しいアルバムに、その思い出の印を置いてはいない。書斎の机の片隅にある、数冊の古いアルバムの一番古い一冊が開かれている。小さな額には〝大〟の字が塗られている。祖母に抱かれた嬰児の宮参りである。一枚のセピア色の写真が、遠い時の流れの源に辿り着いている。
昭和二十三年、七月二十六日、男は大阪、H区の下町の印刷工場の七人兄弟の末っ子、五男坊として生を受ける。
『世界史始まって以来の戦争製造者を罰する裁判』と、アメリカ大統領・トルーマンが語った「東京裁判」。
昭和二十三年十一月十二日、A級戦犯二十五人に判決が下された。
陸軍大将・東条英機、第一次近衛内閣外務大臣・広田弘毅、元在満特務機関長・土肥原賢二、ビルマ方面軍司令官・木村兵太郎ら七人に絞首刑。終身禁固刑十六人、禁固二十年一人、同七年一人。
この他、各地で戦犯裁判を受けた人員四千二百五十七人。うち死刑は九百十一人であった。天皇の名において始めた戦争。その戦いに敗れた時、裁かれた多くは一枚の〝赤紙〟で召集された善良な市民であった。その名を「B・C級戦犯」と呼ぶ。
『裁く手は汚れていなかったか?』といわれた、極東国際軍事裁判は、ナチスに対するニュールンベルグ裁判より過酷な終焉であった。
翌、昭和二十四年十月十九日、GHQは戦犯裁判の終了を宣言した。
昭和十六年十二年八日、日本海軍の真珠湾攻撃から数えて七年十ヶ月の時が流れていた。この年、東京都教組が「男女同一賃金」を獲得、民主自由党が結成され、総裁に吉田茂が就任。新制高校・大学が発足した。
世界情勢から見ると、何とも気恥ずかしい日本の民主化のスタートであった。


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